愛想笑いと集合写真

 人は社会的な生き物だから、人と良好な関係を築くために愛想笑いをすることがある。これは私たちが叶わないと分かっていても滑稽なまでに献身的で純真な片想いをしてしまうのを同じくらいにどうしようもなく仕方ないことだし、それ自体は責められることではない。それに、誰だってきっと誰かに愛想笑いをすると同時に、そのしょうもない自虐ネタやどうでもいい自慢話で他人に愛想笑いをさせている。そして、その愛想笑いに自我を支えられながらも、勘のいい時なんかはそれに気付いて傷付いて生きていく。そんな誰も等しく幸せになれない平等な雰囲気をみんなで作って、貴重な体力と有限の精神力を削り合いながら、最後はバラバラの電車に揺られて家路に着く。だから、この、ひょっとしたらポリス的動物である人間の原罪とも言えるような愛想笑いゲームに加担しなくてもいいのは、赤ちゃんとホームレスくらいなのかもしれない。罪も曇りもないその感性をきちんと持ち得ているホームレスに敬意を表し、自分は先日、池袋駅西口で眠る彼の枕元にポカリスエットを買って置いた。受け取ってもらえたのかは知らない。

 

 ヘラヘラと性懲りもなく、できるだけ馬鹿っぽく笑うのが愛想笑いを長く続けるためのポイントだ。だって、さほど面白くもないことを無理やり笑おうとするのは、自分の自分だけの感性を大切に扱わないことで、自分の品位を自ら下げてしまうかなり愚かなことなのだから。もちろん、愛想笑いは生きていくには必要だけど、愛想笑いをするために生きるなんてまっぴらだ。だから、愛想笑いする時はペラッペラの離婚届みたいにヘラヘラしておくことが大事だ。「いやー、それがこの前浮気されちゃってね。結婚してまだ一年も経ってないのに参りましたよ〜。アハハハハ」みたいな感じで。そうして、本当は泣き出したいくらいに悲しい気持ちを自分のうちに隠しておく。まあ、この笑いは愛想笑いではないけれど、心構えとしてはこんな感じのイメージが理想だ。か弱い自尊心やなけなしの美意識ができるだけ汚れないように、そうっと心を奥にしまう。忘れられない夕焼けや散歩の途中で見た川の煌めき、息が止まるくらいに綺麗な花、あの日君がくれた言葉、そういった自分だけの大切な記憶や思い出なんかで心を大事に包んでおく。そうして、今、テーブルの上にある灰皿の横に置く心の形をした入れ物はできるだけ空っぽにしておくのだ。空にしていれば、下らないジョークも何にもならない世間話もそこにいっぱい詰め込める。ぎゅうぎゅうと詰め込むたびに乾いた笑い声だけを生産し続けるマシーンになる。できるだけ、高めのハリのある声で、何も考えずに愛想笑いをする。

 

 それでも、段々笑えなくなってきたら、ふと我に返ってしまいそうになったら、少しも興味のないことにこうして嬉々として笑っている自分を嘲笑ってみるといい。それか、この世で一番意味のない数を数えるのもオススメだ。「えー、そうなんですか〜。すごいです〜」と手を叩いて言った回数を、自分の大切な感性を自分で鈍らせていく回数を心の中で数えてみるのはたまらなく痛快だと思う。そこまで被虐的になりきってしまえば、もう全てのことがどうでもよくなってくる。けれど、どうしたってこの会食はあと2時間終わらないし、この人たちのとの関係もそう簡単には終わりそうもない。だから、たまらなくバカっぽい自分を、道化師になって社会を生きている自分を、ここぞとばかりに笑ってみる。そうやって笑う自分だけは、せめてこのピエロの観客でいてあげる。無観客試合だなんて、寂しいから。そして、最後、心の抜け柄が空虚さと疲労でパンパンになったら、ちゃんと口を縛って駅のゴミ箱に捨てて帰る。おかえり、自分。ただいま、お家。

 

 そういえば、昔、男の先生に「君は愛嬌がない」と言われた。

てめえに売る愛嬌なんかねえよ、と言い返せなかった自分は、よりにもよってその場を笑ってごまかした。2年前は随分と悔しかった気もするが、それすらどうでもいいと思えている自分が大人になってしまったのが悲しい。たまらなく、悲しい。

 

 「はい、チーズ」と今まで、いろんな人に笑うことを暗に強制されてきた。

思い出の形は笑顔だけで表現されるべきじゃない、と思いながら未だにいつも薄ら笑みを浮かべている。たまにそれに失敗して「顔が怖いよ」と言われるから、頑張って笑おうとする。本当はちょっとも面白くないし、君たちと笑えるような思い出なんか一つも作ってないのに。

 

 笑顔で写真を撮らなくてもいい。笑顔だけが幸せの象徴になるわけじゃない。

 

 だって、あなたの顔が美しいのは、何も笑顔に限ったことじゃないでしょう。

 

 人の顔が美しいのは、その人がその人だけのその体と心で、その感情を、思い出を、生い立ちを、関係性を、社会性を、どうしようもない今を生きているからだと思う。まあ、その意味で言えば、頑張って愛想笑いしているあなたのその釣り上がった目尻も自分はやはり美しいと言わざるを得ないね。本当は、そんな下品なことをあなたにさせたくなんかなかったのに、ごめんね。

 

 でも、僕には、あなたの真剣な怖い顔も、何かを見てる顔も、眠そうな顔も、横を向いてる顔も、考え事をしている顔も、全てが素敵に見える。刻々と変わりゆくそのみずみずしい表情の全てを、私は愛おしく思っている。出会ったこともないあなたの顔も名前も知らないけど、そう思ってる。

 

 だから、自分があなたにカメラを向けても、どうか無理に笑わないでください。もし、笑いたかったら笑ってください。もし、泣きたかったら、泣いてください。すっぴんだって、綺麗だから大丈夫だって。いや、髭を剃り忘れてたって君はイケメンだよ。ほら、いくよ。

 

はい、チーズ