部屋の片付け

 さて、そんな自分は現在7畳の部屋に住んでいて、そこには元からトイレと洗面台とベッド、机や棚が付いている。そして今、地元から送ってた中くらいの段ボールが4つ、一緒に空の旅をした銀のスーツケースが1つが床に中途半端に開封されたままになっている。7畳という広さにピンとくる人ならもうお分かりだろうが、この部屋の広さにこれだけのものがあるということは、つまり部屋がとても散らかっているということである。人に見せられないレベルで、と書くと人によってそのレベルは変わるだろうからあまり的確な説明にはならないだろう。まあ、ブログを書くような人であるから、自己開示度のハードルは一般の人よりも低いのかもしれない。それでも、何をどう自己開示するかは自分で決めているつもりではあるけれど。いや、今日はそんなことをごちゃごちゃと抜かしている場合ではない。今日は、今からこれらを全て片付けていきたいと思う。なんだかYouTuberみたいな喋り方(書き方)だなあと思うが、それは先ほどまで自分がYouTubeを見ていたからだということにしたい。

 片付けをする時に自分がいつも思い出すのは、父が昔、片付けの難易度とはその散らかっているものの種類の多さによると言っていたことだ。積み木だけが散らばっている部屋は片付けやすいが、そこにぬいぐるみと毛糸玉と絵本と折り紙が混ざると大変だということである。まずはそれらの分類をしてから、収納をしなければならないからだ。潰れかけのこの段ボールの中身は大量の本と間に挟まったヘロヘロの服だけであるし、スーツケースにはこれまた大量の本と各方面へのお土産がまばらに載っている。だから、片付ける物の種類としてはそこまでないと、片付けるのはそこまで苦ではないと思っているが、片付けが楽勝だったことは人生で一度たりともない。昔、寮の決まりを破ってこの部屋に連れ込んだヤツが言っていたのは「まず君の持っているものがね、収納スペースよりも多いから部屋が片付かない、というかすぐ散らかっちゃうんだよ」という至極当たり前のことであり、そして自分の部屋が片付けにくい一番の理由であった。実家でぬくぬくと暮らしてるヤツにそれを言い当てられたのは少し癪ではあるが、元彼という称号に免じて許してやる。父が言うように持ち物の種類が少なくても、如何せん7畳の部屋にこの量のものを片付けるのは彼が言うように難しいので、気が重いしやる気も出ない。だから、自分で収納スペースを増やした上で、どこに何をしまっていけば、部屋が片付けられるかを考えて物を詰め込んでいかないといけない。とても面倒くさい、そして疲れると思う。

 本当に今日中に終わるだろうか。いや、終わらせられるだろうか。ブログを書いていたら、もう3時間も経ってしまったし、なんだかお腹も空いてきたような気がする。でも、今年の1月にとうとうメンタルがやられてから4ヶ月弱ずっと部屋が汚かったのはとても辛かったし、毎日それで何をするにもやる気が出なかったことも覚えている。最終的に、自分の部屋は三原順の『はみだしっ子』にあった「整理整とん教室」のサーニンみたいな感じになったのだが、(めちゃくちゃ散らかってはいるけど、どこに何があるかは自分で大体把握できている状態。サーニンはそこで「オレ、もう片付けなくていいような気がする」みたいなことを言っていた)もうあんなことには金輪際なりたくない。だから、鼻を噛みながらでも、部屋は今日明日あたりで片付けておいたほうがいいだろう。

 前回、4月はあんなに散らかった部屋を一気に片付けようとした結果、疲労がピークに達したのか途中で正常な判断力を失ってしまい、深夜に火事場の馬鹿力を発揮して、高さが2mくらいあるまあまあ普通のデカい棚を一人で運んでしまった。ここまではまだ馬鹿力エピソードで済む話なのだが、その勢いで何を思ったか「自分にできないことはない」と盛大な勘違いをしてしまい、40インチ相当のテレビ(弟よりも重かったので60kgくらいはあったと思う)を一人で運ぼうとしたところ、無事失敗し何故か朝方ベッドの上でテレビの下敷きになってしまったのだ。だから、今回は気持ちにゆとりを持って計画的に片付けを終わらせられるように祈っているが、こんなことは先ほどのおっちゃんの話とは違って祈ったところで何にもならないだろう。というか、祈る前にすべきことはまず、この暖かいベッドを降りることだろう。早急に。