空中分解

サークルが終わった後のなんとも言えない浮遊感の正体をずっと探していた。それは自分にとってのかつての孤独への情景が、手のひらで静かに潰えていく炎のようにゆらゆらと騒ぎながらも緩やかに消えていくから。名も知らないあなたのいいねに安堵感を覚えてしまっているから。自分の所在に迷いながらも、過去の甘い思い出を美化して、肯定しようとするから。

 

どうすればよかったんだろう。

一人で考えている。

 

いつも、そこにいるはずだった彼女のことを考えている。ずっと考えることで彼女を忘れないでいたいから。

 

どうすればよかったんだろう。

君に怒っているのか、許してほしいと思ってるのか。言いたいことは多分もっとたくさんあるのに、今更何を言っても何にもならないことだけわかってしまっている。

 

こんなに複雑な気持ちになったことはなかった。

何が正しいのか、自分一人で生きていた私であればいつも明白にわかっていたから。だから、この四年間は迷った。失敗した。後悔した。まるで人間みたいに生きていた。

 

 

 

愛想笑いと集合写真

 人は社会的な生き物だから、人と良好な関係を築くために愛想笑いをすることがある。これは私たちが叶わないと分かっていても滑稽なまでに献身的で純真な片想いをしてしまうのを同じくらいにどうしようもなく仕方ないことだし、それ自体は責められることではない。それに、誰だってきっと誰かに愛想笑いをすると同時に、そのしょうもない自虐ネタやどうでもいい自慢話で他人に愛想笑いをさせている。そして、その愛想笑いに自我を支えられながらも、勘のいい時なんかはそれに気付いて傷付いて生きていく。そんな誰も等しく幸せになれない平等な雰囲気をみんなで作って、貴重な体力と有限の精神力を削り合いながら、最後はバラバラの電車に揺られて家路に着く。だから、この、ひょっとしたらポリス的動物である人間の原罪とも言えるような愛想笑いゲームに加担しなくてもいいのは、赤ちゃんとホームレスくらいなのかもしれない。罪も曇りもないその感性をきちんと持ち得ているホームレスに敬意を表し、自分は先日、池袋駅西口で眠る彼の枕元にポカリスエットを買って置いた。受け取ってもらえたのかは知らない。

 

 ヘラヘラと性懲りもなく、できるだけ馬鹿っぽく笑うのが愛想笑いを長く続けるためのポイントだ。だって、さほど面白くもないことを無理やり笑おうとするのは、自分の自分だけの感性を大切に扱わないことで、自分の品位を自ら下げてしまうかなり愚かなことなのだから。もちろん、愛想笑いは生きていくには必要だけど、愛想笑いをするために生きるなんてまっぴらだ。だから、愛想笑いする時はペラッペラの離婚届みたいにヘラヘラしておくことが大事だ。「いやー、それがこの前浮気されちゃってね。結婚してまだ一年も経ってないのに参りましたよ〜。アハハハハ」みたいな感じで。そうして、本当は泣き出したいくらいに悲しい気持ちを自分のうちに隠しておく。まあ、この笑いは愛想笑いではないけれど、心構えとしてはこんな感じのイメージが理想だ。か弱い自尊心やなけなしの美意識ができるだけ汚れないように、そうっと心を奥にしまう。忘れられない夕焼けや散歩の途中で見た川の煌めき、息が止まるくらいに綺麗な花、あの日君がくれた言葉、そういった自分だけの大切な記憶や思い出なんかで心を大事に包んでおく。そうして、今、テーブルの上にある灰皿の横に置く心の形をした入れ物はできるだけ空っぽにしておくのだ。空にしていれば、下らないジョークも何にもならない世間話もそこにいっぱい詰め込める。ぎゅうぎゅうと詰め込むたびに乾いた笑い声だけを生産し続けるマシーンになる。できるだけ、高めのハリのある声で、何も考えずに愛想笑いをする。

 

 それでも、段々笑えなくなってきたら、ふと我に返ってしまいそうになったら、少しも興味のないことにこうして嬉々として笑っている自分を嘲笑ってみるといい。それか、この世で一番意味のない数を数えるのもオススメだ。「えー、そうなんですか〜。すごいです〜」と手を叩いて言った回数を、自分の大切な感性を自分で鈍らせていく回数を心の中で数えてみるのはたまらなく痛快だと思う。そこまで被虐的になりきってしまえば、もう全てのことがどうでもよくなってくる。けれど、どうしたってこの会食はあと2時間終わらないし、この人たちのとの関係もそう簡単には終わりそうもない。だから、たまらなくバカっぽい自分を、道化師になって社会を生きている自分を、ここぞとばかりに笑ってみる。そうやって笑う自分だけは、せめてこのピエロの観客でいてあげる。無観客試合だなんて、寂しいから。そして、最後、心の抜け柄が空虚さと疲労でパンパンになったら、ちゃんと口を縛って駅のゴミ箱に捨てて帰る。おかえり、自分。ただいま、お家。

 

 そういえば、昔、男の先生に「君は愛嬌がない」と言われた。

てめえに売る愛嬌なんかねえよ、と言い返せなかった自分は、よりにもよってその場を笑ってごまかした。2年前は随分と悔しかった気もするが、それすらどうでもいいと思えている自分が大人になってしまったのが悲しい。たまらなく、悲しい。

 

 「はい、チーズ」と今まで、いろんな人に笑うことを暗に強制されてきた。

思い出の形は笑顔だけで表現されるべきじゃない、と思いながら未だにいつも薄ら笑みを浮かべている。たまにそれに失敗して「顔が怖いよ」と言われるから、頑張って笑おうとする。本当はちょっとも面白くないし、君たちと笑えるような思い出なんか一つも作ってないのに。

 

 笑顔で写真を撮らなくてもいい。笑顔だけが幸せの象徴になるわけじゃない。

 

 だって、あなたの顔が美しいのは、何も笑顔に限ったことじゃないでしょう。

 

 人の顔が美しいのは、その人がその人だけのその体と心で、その感情を、思い出を、生い立ちを、関係性を、社会性を、どうしようもない今を生きているからだと思う。まあ、その意味で言えば、頑張って愛想笑いしているあなたのその釣り上がった目尻も自分はやはり美しいと言わざるを得ないね。本当は、そんな下品なことをあなたにさせたくなんかなかったのに、ごめんね。

 

 でも、僕には、あなたの真剣な怖い顔も、何かを見てる顔も、眠そうな顔も、横を向いてる顔も、考え事をしている顔も、全てが素敵に見える。刻々と変わりゆくそのみずみずしい表情の全てを、私は愛おしく思っている。出会ったこともないあなたの顔も名前も知らないけど、そう思ってる。

 

 だから、自分があなたにカメラを向けても、どうか無理に笑わないでください。もし、笑いたかったら笑ってください。もし、泣きたかったら、泣いてください。すっぴんだって、綺麗だから大丈夫だって。いや、髭を剃り忘れてたって君はイケメンだよ。ほら、いくよ。

 

はい、チーズ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋の片付け

 さて、そんな自分は現在7畳の部屋に住んでいて、そこには元からトイレと洗面台とベッド、机や棚が付いている。そして今、地元から送ってた中くらいの段ボールが4つ、一緒に空の旅をした銀のスーツケースが1つが床に中途半端に開封されたままになっている。7畳という広さにピンとくる人ならもうお分かりだろうが、この部屋の広さにこれだけのものがあるということは、つまり部屋がとても散らかっているということである。人に見せられないレベルで、と書くと人によってそのレベルは変わるだろうからあまり的確な説明にはならないだろう。まあ、ブログを書くような人であるから、自己開示度のハードルは一般の人よりも低いのかもしれない。それでも、何をどう自己開示するかは自分で決めているつもりではあるけれど。いや、今日はそんなことをごちゃごちゃと抜かしている場合ではない。今日は、今からこれらを全て片付けていきたいと思う。なんだかYouTuberみたいな喋り方(書き方)だなあと思うが、それは先ほどまで自分がYouTubeを見ていたからだということにしたい。

 片付けをする時に自分がいつも思い出すのは、父が昔、片付けの難易度とはその散らかっているものの種類の多さによると言っていたことだ。積み木だけが散らばっている部屋は片付けやすいが、そこにぬいぐるみと毛糸玉と絵本と折り紙が混ざると大変だということである。まずはそれらの分類をしてから、収納をしなければならないからだ。潰れかけのこの段ボールの中身は大量の本と間に挟まったヘロヘロの服だけであるし、スーツケースにはこれまた大量の本と各方面へのお土産がまばらに載っている。だから、片付ける物の種類としてはそこまでないと、片付けるのはそこまで苦ではないと思っているが、片付けが楽勝だったことは人生で一度たりともない。昔、寮の決まりを破ってこの部屋に連れ込んだヤツが言っていたのは「まず君の持っているものがね、収納スペースよりも多いから部屋が片付かない、というかすぐ散らかっちゃうんだよ」という至極当たり前のことであり、そして自分の部屋が片付けにくい一番の理由であった。実家でぬくぬくと暮らしてるヤツにそれを言い当てられたのは少し癪ではあるが、元彼という称号に免じて許してやる。父が言うように持ち物の種類が少なくても、如何せん7畳の部屋にこの量のものを片付けるのは彼が言うように難しいので、気が重いしやる気も出ない。だから、自分で収納スペースを増やした上で、どこに何をしまっていけば、部屋が片付けられるかを考えて物を詰め込んでいかないといけない。とても面倒くさい、そして疲れると思う。

 本当に今日中に終わるだろうか。いや、終わらせられるだろうか。ブログを書いていたら、もう3時間も経ってしまったし、なんだかお腹も空いてきたような気がする。でも、今年の1月にとうとうメンタルがやられてから4ヶ月弱ずっと部屋が汚かったのはとても辛かったし、毎日それで何をするにもやる気が出なかったことも覚えている。最終的に、自分の部屋は三原順の『はみだしっ子』にあった「整理整とん教室」のサーニンみたいな感じになったのだが、(めちゃくちゃ散らかってはいるけど、どこに何があるかは自分で大体把握できている状態。サーニンはそこで「オレ、もう片付けなくていいような気がする」みたいなことを言っていた)もうあんなことには金輪際なりたくない。だから、鼻を噛みながらでも、部屋は今日明日あたりで片付けておいたほうがいいだろう。

 前回、4月はあんなに散らかった部屋を一気に片付けようとした結果、疲労がピークに達したのか途中で正常な判断力を失ってしまい、深夜に火事場の馬鹿力を発揮して、高さが2mくらいあるまあまあ普通のデカい棚を一人で運んでしまった。ここまではまだ馬鹿力エピソードで済む話なのだが、その勢いで何を思ったか「自分にできないことはない」と盛大な勘違いをしてしまい、40インチ相当のテレビ(弟よりも重かったので60kgくらいはあったと思う)を一人で運ぼうとしたところ、無事失敗し何故か朝方ベッドの上でテレビの下敷きになってしまったのだ。だから、今回は気持ちにゆとりを持って計画的に片付けを終わらせられるように祈っているが、こんなことは先ほどのおっちゃんの話とは違って祈ったところで何にもならないだろう。というか、祈る前にすべきことはまず、この暖かいベッドを降りることだろう。早急に。

青のピアスのおっちゃん

 先日、あの実家からやっと東京に帰ってくることができた。その間にあった諸々の出来事はここでは書かない(書くと何人かに吐いている嘘がバレてしまうので)し、両親が実家でまた喧嘩をしていることなど、もはや東京に帰ってきた私には何の関係もないことだ。そんなことよりも今の自分にとって大事なのは、一番よく利用しているスーパーのレジのおっちゃんにまだ会えていないことである。もし、自分が東京にいなかった4ヶ月の間に彼が辞めていたのだとしたら、相当なショックを受けるだろう。それに、今後あのスーパーに行くたびに「もう、あの青のピアスのイカしたおっちゃんに会えないのだ」と思うとなると、今からすでに辛くなってしまっている。こんなことを思うのは、自分がそのおっちゃんに一方的な想いをストーカーのように寄せているからではない。寮生御用達のこのスーパーに買い物に来た時、青のピアスを「素敵ですね」と自分が褒めたところから、レジで会えば互いに話すくらいの仲にはなっている。よく夕方〜夜にシフトを入れているスキンヘッドのおっちゃんは独り身なのか、余程暇なのかは知らないが、年齢は50代後半だろうと見ている。しかし、昔はバイクにでも乗っていたのだろうと想像させるような少し日焼け気味のヤンチャな顔と快活な喋り口調から、俗にイメージされる50代にしては随分と若いと思っていた。(とは言え、彼の本当の年齢は知らないのでなんとも言えないのだが)他の従業員さんやいろんなお客さんと気さくに喋るその人柄に自分は勝手に好感を抱いているのだが、それ以上にそのおっちゃんに見出していたのは、世界の安定であった。

 世界の安定、それは現象学によれば「過去こうだった、今日はこうである、だから未来もこうだろう」という連続性によって作られるものであり、私たちがそれぞれに持ち、そしてある程度は他者と相互的に共有している普遍的な基盤(普段当たり前に生きている世界を構成してくれる地盤)のことを指す。例えば、何故、自分が西武池袋線ユーザーとして通学することが可能になっているかと言えば「過去電車が使えた」という事実があり、そして普通に「今日も使えた」ので、「明日もきっと使えるだろう」と予想するからである。そして、それが多くの他者と共有された世界に生きているから、安心して過ごせているのである。そうじゃなければ毎朝毎朝「今日は学校に行けるのだろうか」と不安になってしまうし、そんな不安定な世界では安心して生きられない。だから、比喩的な意味でもそうでなくても内戦地区のような場所に生きる人は「昨日は大丈夫だったが、今日は爆弾が落ちてくるかもしれない」「今日は親にぶたれなかったが、明日はどうなるか分からない」という不安が当たり前となって積み重なることで、それが彼・彼女らにとっての普遍的な基盤となってしまうのである。

 変化が激しく、人の移動速度が異常に早い(連続性がなく、特定の他者と世界を共有しにくい)東京に来て、自分は長い間住んでいるところに対する愛着や、安心を持てず、普遍的な基盤を築くことができないでいた。しかし、そのおっちゃんは「そこに行けば、大抵いつも会える」だから「過去会えた、今日会えた、だから明日も会えるだろう」という世界の変わらなさ、安定さを2年半に渡って体現してくださる身近で、相互的なやりとりができる他者として、自分にとてつもない安心とレシートをこの手のひらにずっとくれていた。自分が卒業して、退寮する時には何か一言そのおっちゃんにお礼でも言おうと考えているくらいである。(多分「あ〜、そうですか〜。それはよかったですね〜w」と笑われながらも、若干引かれるだろう)

 こういうことを書くと自分はすごくウェットで女々しい感性を持っていると改めて思うし、見知った顔に定期的に会えることに安心するあたりやっぱり田舎者なのだと思う。まあ、でも大なり小なりみんなそういうのはあるかもしれないから今日は少し書いてみた。明日の夜にはまた買い物に行こうと思っているので、レジで会えることを祈っている。まあ、それで会えなかったらそれまでなのだろう。寂しいけれど。スーパーに通って2年半になるが、未だにお互いの名前も知らないし、今後知ることもない。そして、こっちにとって彼はブログに書くほどの人ではあるが、向こうにとっては数多いるお客の一人であることは間違いないし、別にそれでいい。恋愛や友情に限らず、全ての人との関係なんて全部が全部片想いなのだから。例え双方向であっても、二人がそれぞれに互いに片想いしてるだけだろうし、それすらもスクランブル交差点ではごちゃ混ぜになってしまう。ああ、もはや安心さえ覚えるこの寂しさ、これが東京、いや、移り行く世の中というものなのだろう。断じて、こんなことでセンチメンタルになったりはしないし、このままおめおめと11月に負けるわけにもいかない。 

忌まわしき10月へ ②

 そうして今年の10月が終わった。終わってみれば何のことはない。多少ツイキャスで喚いたり、夕方が辛かったりしたくらいはあったけど、例年に比べればとても平和だった。パクスロマーナならぬ、パクスオクトーバーだった。特筆すべき出来事と言っても大したことはなく、宗教に狂った集団とお友達になったり、バカバカしい喧嘩を繰り返し離婚だと喚き散らかす両親の仲裁をしたり、しつこめの鼻風邪を一週間近く引きずってしまったりしたことくらいだ。自分にとって大切な何かが突然失われるでもなく、自分の尊厳や気持ちを徹底的に踏みにじられるでもなく、ただ騒がしい10月が風のように過ぎていっただけ。あれだ、絵本の『葉っぱのフレディ』みたいだった。

 これは強烈というか、児童向けにしては何とも重々しい絵本なのであるが、そう言っている自分が多感な時期(とは言えこの時は確か小3だったから、多感というよりは、ただ単に感じたことが全部ナイフみたいにブッ刺さって死ぬまで抜けない時期)にこれを読んだから、そう思ってるだけなのかもしれない。内容としては主人公が葉っぱで、春はみんなで一生懸命大きくなって、夏はみんなと木陰を作ってワサワサ楽しかったのに、秋にはみんな散って悲しいね、僕も死ぬのかな、死ぬのは嫌だな、そう思いながら冬を迎えて、、、というものである。軽い口調で要約を書いてしまってめちゃくちゃ作者に申し訳ないけど、読書感想文だか何だかをこれで書いたくらい自分にとっては惹かれる本だったし、死を扱っている分、怖いながらも美しい本だった。でも、今年の10月は紅葉した葉っぱが落ちるのを見て「フレディイイイイイイイイー」とは、まあちょっと思ったけど、別にそれで泣いたり、外に出たくなくなったり、誰かと致命的に関係が悪くなったりもしなかった。これで、今年こそは10月を乗り越えたと言えるだろう。

 だが、恐ろしいのはここからである。10月は乗り越えた、がしかし、喜ぶのはまだ早い。本当の勝負はここから始まる。何なら、去年だって10月はそこそこうまくやれた。しかし、自分にとって去年の本当の敵は11月だったのである。10月は何をやっても10月のせいにできたが、11月になるとそんなふざけた言い訳もできず、10月の遅れを取り返そうとただただ頑張った結果その反動がきた。正確にいうと身内の不幸と恋愛に関する諸々の事情によりダウンした。まあ、出来事もヘビーだったし、恋愛のこともタイミング的にしょうがなかったとも言えるけど、体感としては10月の分のしわ寄せが一気に11月にきた感じだったので、これでは10月を乗り越えたとは言えないだろう。よって、自分が今年の10月を乗り越えたと言えるかどうかはは11月を持って証明されるのである。まあ、証明してみせたところでそれが何になるとも思えないけれど。でも、これは自分にとってはフェルマーの最終定理の証明よりも難しいし、少なくともコンスタントに活動し続けなければいけなくなる社会人になるにあたって、やる意味のある証明だと思っている。

 忌まわしい10月よ、君は自ら望んで31日もあるのではないのだろうし、こんなに感傷的で厭世的な演出をあの手この手を使って自分に仕掛けにきているわけでもないのだろう。しかし、望んでいないにもかかわらず人は憎まれ、憎むのがこの世の不条理というものだ。だから、一生かけても君を好きになることのない自分を甘んじて受け入れてくれとは言わないが、せめて毎年穏便にそっとやって来て、何も言わずにさっさと立ち去ってほしい。君は君でもう十分すぎるくらい魅力的なんだろうけど、自分にとってその魅力はバラについてるトゲのように鋭すぎて触れられないんだ。だから、君とは最高にスマートで寂しい別れだけを繰り返したい。

 

 あ、でも待って、ちょっと最後にこれだけ言わせて。君のことウィキペディアで調べたら、神無月になった訳って実ははっきりしてなくて、出雲大社が広めた話だったんだね。まじで何なん。

忌まわしき10月へ ①

 自分ほど11月が来ることをこれほど心待ちにしていた人はいないだろうと、みんなが想定するところの人という枠の中で生きているのか怪しい自分が言う。それはハロウィンが三度の飯より好きだからというわけではなく(余談だが、自分は中学3年の時過去最高にイキリ散らかしていたので、自作のハロウィンボックスなるものに紐をつけたお菓子を大量に入れて、クラスの人たち全員にくじのようにして配り歩いたことがある)11月に開催される諸々の行事がとても楽しみだからだと言うわけではなく、何のことはない、ただ単に10月が憎いからである。それも親の仇かというほどに。

 秋、10月ーそれは自分にとっては心身ともに抉られる季節であり、何回入れても千円札が戻ってきてしまう自動販売機より疎ましい月である。神無月と呼ばれるこの月は、八百万の神島根県出雲大社に集まる月であることからその名がついたと母から昔聞いた。そのため、島根では10月を神有月と呼ぶらしいのだが、そんなことは重要ではない。つまり、島根県に住所を持たず、全てのことは運と度胸で乗り切ってきた自分にとっては最高に心細いというか、何につけても心が晴れやかにならない月なのである。別に熱心な仏教徒というわけではないけれど、とにかく夕方や夜、どことなく物悲しい秋の雰囲気を感じるとたちまちセンチメンタルとメランコリーにやられてしまう。夕食を食べていると、自分は何も成し遂げていないのにこの焼き魚を食べる資格があるのかと考え出して、しまいには自分なんてもうダメな気がしてきて、やることなすこと全てうまくいかないような気持ちになってしまう。10月とは自分にとって、そんな困った月なのである。

 そのようなスパイ家で言うところの「10月病」の始まりは4才だった。ひいおばあちゃんが危篤と言うことで母に連れられ、10月いっぱい幼稚園を休んで実家の北海道にいたことがある。それが死というものを間近に感じた初めての体験だったからだろうか、保育園ではできなかった友達といきなり長いこと離れたからだろうか、とにかく北海道での自分は母が見当たらなくなるとすぐに泣き出し、外遊びを嫌がった。公園の木から黄色い葉が落ちるのが、何となく寒くて風が強いのが、空がどこまでも青くて遠いのが、それら全部が全部嫌で、お母さんがいなくなったら自分も消えて無くなるんじゃないかという気がしてしまって離れられなかった。それを21になった今も覚えているくらい、あの時の自分は精神的にやられていた。今思えば、笑っちゃうくらいの幼児退行である。まだ、幼児だけど。

 それから数年は10月病にそれほど悩まされた記憶はないが、中学に上がってからは部活やら受験やらで何かと忙しかったので、そんな病気(とも言えないような病気)になっている暇なんてなかっただけなのかもしれない。所詮、4才の時の10月病なんて、よくある季節性鬱の重いやつだったのかもしれない。それでも高三の時にクラスで一番仲の良かった子と絶交し、浪人期に予備校に行けなくなってしまった時期は全て10月だったし、大学1年の時には散々な出来事が立て続けに自分に起こった。それに懲りた自分は2年の時、前もって「自分は10月精神的にダメなので、何かと迷惑かけるかとますがどうか許してください」と身近な人に言って回ることで来るべき10月に先手を打つことにした。しかしそんな中、ある人に「10月病なんて思い込みだ」と言われた。そんなことを言う人は自分の友達には今までいなかったが、その時自分も確かにそうかもしれないと思ったので(自分はその人何か言われると、いつもそうかもしれないと思ってしまう。その内容が正しいか間違っているかはどっちでもいいけど、そんな自分が何だかくだらなく思えて嫌になる)長年の思い込みをそこで少し取っ払ってみることにした。おばけなんてないさの精神で、気を強く持って10月に挑めば大丈夫かもしれない、ちょっと悲しい気持ちになるのも、なんだか元気が出ないなあと思うのも「全部気のせい」そう思って毎日を慎重に過ごした。雰囲気や心持ちとしては、志賀直哉の『城の崎にて』の主人公に近い感じだった。

自由意志と空の緑

 ツイッターで仲良くしてくださっている、あるフォロワーさんがたまにブログを書いてる。全て読んでいるわけではないが、彼女のきめ細かくてそして少し自信がなくて、それでいて素直な文章に自分は右斜め上に少し惹かれている。それに感化されてブログを始めたと言ったら、気持ち悪いと思われるだろうか。出会ったことのない彼女の黄色いタンポポが高架下に吹く風に揺れているのを、ここにつらつらと書き留めるのは野暮だろうからここいらで口を閉じる。元彼がブログを書いていたからそれに倣って始めたことにしてみようかとも思うけど、正直彼のブログにも生き方にも羨望の念やある意味の畏敬の念抱いたことはあれ、憧れたことはないのでそうすると嘘をつくことになってしまう。

 では、どういう建前でブログを始めようか。いや、そもそもブログを始めるのに理由がいるのだろうか。何事にも始めるときには理由がいる。そこに私たちは意志を見出し、そこに漬け込んで何かしら責任を負わせようとする。あなたが自ら望んで始めたことは、何かしらの目的を達成するためにあなたのたゆみなき努力を持って続けられるべきであり、簡単に終わらせるべきではく、続けられないことや途中で投げ出すことは無責任である、そう言われる。その息苦しさや自由意志の有無について、または責任と依存症について國分功一郎の『中動態の世界』を引いて、ある程度(不十分ではあれ)語ることはできるけどその需要はあるのだろうか。書くことの責任を自分は負えるだろうか。

 そもそも、ブログというものはある世間の持つ需要に対する一種の個人的な供給なり得るだろうか。いや、たぶん、自由に書くということはそんな大層なものでも、陳腐なものでもない。その間にある気ままさとちょっとの苦しさは、空の中に在る緑に似ている。終わりゆく今日という日の黄と空の地の色の青とが溶け合う場所は緑になっていて、でも、誰もそんなこと気づかないで池袋で降りているみたいだし、どの画家も夕暮れの手前の空を描くときに緑を使わない。そして、意識しなければその緑は簡単に見落とされるし、いざ見ようと思っても誰もが見られるものでもない。別に、トトロのように子供には見えるのだとか、自分は神に選ばれた人間だから見えるだとか、そういうことを言いたいのではない。ただ、空は青で夕焼けは赤(またはオレンジ)だと信じて疑わない人や、「溶け合う」(という表現ですらしっくり来ていないくらいに黄色と青色と言う対象はもうそこで消失してしまっている)二色がそれぞれの領域を惜しみなく広げた結果、不意に触れてしまった結果できてしまったその緑色の中途半端さが許せない人は、その緑が見れないのだと自分は思う。男と女に、加害者と被害者に、先生と生徒に、好きと嫌いに、生と死に、全てを二分した世界で満足に生きているだけではきっとダメなんだろうと、思う。だから、もしまた自分が絵を描くことがあれば、そしてそのとき空を書くのであれば、必ず緑を使ってやると決めている。それもとびきり透明で曖昧でぼやけた緑を、表現する。表現されていることにすら通行人は気づかない形で自分はそれをするけど、別にそれでいい。あなたが気づいてくれれば、それでいい。

 とまあ、ここまではっきりと空の緑について語っているが、この話はここが初出ではなく、別の創作サイトでもしている。少しだけ。でも、誰がそれを見て、自分と同一人物だと思うだろう?一緒の人物だと思われたいわけではないけども、盗作だなんて言われたら心外だから一応言っておく。と言うか、僕らみんな両親の盗作だよ。罪はないけど。

 BGMに聞いているオンデマンドの動画が気づいたら終わっていた。今日はこれくらいにする。