忌まわしき10月へ ①

 自分ほど11月が来ることをこれほど心待ちにしていた人はいないだろうと、みんなが想定するところの人という枠の中で生きているのか怪しい自分が言う。それはハロウィンが三度の飯より好きだからというわけではなく(余談だが、自分は中学3年の時過去最高にイキリ散らかしていたので、自作のハロウィンボックスなるものに紐をつけたお菓子を大量に入れて、クラスの人たち全員にくじのようにして配り歩いたことがある)11月に開催される諸々の行事がとても楽しみだからだと言うわけではなく、何のことはない、ただ単に10月が憎いからである。それも親の仇かというほどに。

 秋、10月ーそれは自分にとっては心身ともに抉られる季節であり、何回入れても千円札が戻ってきてしまう自動販売機より疎ましい月である。神無月と呼ばれるこの月は、八百万の神島根県出雲大社に集まる月であることからその名がついたと母から昔聞いた。そのため、島根では10月を神有月と呼ぶらしいのだが、そんなことは重要ではない。つまり、島根県に住所を持たず、全てのことは運と度胸で乗り切ってきた自分にとっては最高に心細いというか、何につけても心が晴れやかにならない月なのである。別に熱心な仏教徒というわけではないけれど、とにかく夕方や夜、どことなく物悲しい秋の雰囲気を感じるとたちまちセンチメンタルとメランコリーにやられてしまう。夕食を食べていると、自分は何も成し遂げていないのにこの焼き魚を食べる資格があるのかと考え出して、しまいには自分なんてもうダメな気がしてきて、やることなすこと全てうまくいかないような気持ちになってしまう。10月とは自分にとって、そんな困った月なのである。

 そのようなスパイ家で言うところの「10月病」の始まりは4才だった。ひいおばあちゃんが危篤と言うことで母に連れられ、10月いっぱい幼稚園を休んで実家の北海道にいたことがある。それが死というものを間近に感じた初めての体験だったからだろうか、保育園ではできなかった友達といきなり長いこと離れたからだろうか、とにかく北海道での自分は母が見当たらなくなるとすぐに泣き出し、外遊びを嫌がった。公園の木から黄色い葉が落ちるのが、何となく寒くて風が強いのが、空がどこまでも青くて遠いのが、それら全部が全部嫌で、お母さんがいなくなったら自分も消えて無くなるんじゃないかという気がしてしまって離れられなかった。それを21になった今も覚えているくらい、あの時の自分は精神的にやられていた。今思えば、笑っちゃうくらいの幼児退行である。まだ、幼児だけど。

 それから数年は10月病にそれほど悩まされた記憶はないが、中学に上がってからは部活やら受験やらで何かと忙しかったので、そんな病気(とも言えないような病気)になっている暇なんてなかっただけなのかもしれない。所詮、4才の時の10月病なんて、よくある季節性鬱の重いやつだったのかもしれない。それでも高三の時にクラスで一番仲の良かった子と絶交し、浪人期に予備校に行けなくなってしまった時期は全て10月だったし、大学1年の時には散々な出来事が立て続けに自分に起こった。それに懲りた自分は2年の時、前もって「自分は10月精神的にダメなので、何かと迷惑かけるかとますがどうか許してください」と身近な人に言って回ることで来るべき10月に先手を打つことにした。しかしそんな中、ある人に「10月病なんて思い込みだ」と言われた。そんなことを言う人は自分の友達には今までいなかったが、その時自分も確かにそうかもしれないと思ったので(自分はその人何か言われると、いつもそうかもしれないと思ってしまう。その内容が正しいか間違っているかはどっちでもいいけど、そんな自分が何だかくだらなく思えて嫌になる)長年の思い込みをそこで少し取っ払ってみることにした。おばけなんてないさの精神で、気を強く持って10月に挑めば大丈夫かもしれない、ちょっと悲しい気持ちになるのも、なんだか元気が出ないなあと思うのも「全部気のせい」そう思って毎日を慎重に過ごした。雰囲気や心持ちとしては、志賀直哉の『城の崎にて』の主人公に近い感じだった。